2013年3月29日金曜日


こんにちは。Living in Peace(以下LIP)で副理事長を務めております木下です。
今回は、前回簡単に書いた2つのプロジェクトにおける雰囲気・文化・メンバーの性格の違いを、
具体的にお伝えしてみようと思います。

教育プロジェクトとマイクロファイナンスプロジェクトの違い


マイクロファイナンス(以下MF)プロジェクトは性質上、金融の専門知識や英語力が必要な場面も多く、
メンバーの職業も銀行・証券など広義の金融、コンサル、会計士などに半数以上偏っています。

また全体的に「己」を持っているメンバーが多く、毎週都内某所で行われている2時間程度の
ミーティングは、いつもなかなかの緊張感です。

例えば発言も要点を絞って論理的に短時間で話すことを求められるので、ミーティングにいらした
見学者の方たちが、驚かれることも多いようです。正直、本業よりも心地良いスピード感があります。
(引き込まれるか、ドン引きされるか、という「諸刃の剣」でしょうか…)

ここまで書くと非常にドライな集団かと思われるかもしれないのですが、その分結束力はとても強く、
プロジェクト以外のところでメンバー同士、よく遊んでいますし、飲み会も多いです(笑)

一方、お隣の教育プロジェクトですが、こちらのメンバーでも一番多いの職業は金融系であるとはいえ、
MFプロジェクトに比べると多様な人が揃っています。

ミーティング時はMFプロジェクトの緊張感と全く異なり、まったりした雰囲気が流れています。
ただしミーティング手法などについて言えば、前日までにきっちりアジェンダを上げて、決められた時間で
話すという、ほとんど同じ運用ですので、この違いは単純に個々人の性格に起因しているように思えます。

良く言えば「協調性がある」、悪く言うと「気を遣い過ぎ」。

どうして2つのプロジェクトでここまで違うのか、プロジェクト結成時からいる私などは不思議で仕方ない
のですが、貧困削減という同じ「括り」とはいえ、国内と国外で支援対象も手法も全く異なることが主な
要因なのでしょうか。

途中に少し書きましたが、LIPは両プロジェクトとも、毎週開催しているミーティングへの見学が可能です。
ここまで読んで気になられた方がいましたら、是非プロジェクトのそれぞれの雰囲気を生で感じてください。

(マイクロファイナンス・プロジェクト)http://www.living-in-peace.org/mf_recruit/ 

よく考えたらこの文章は当のメンバーも読みますので、フォローの意味も込めて付け加えますと、
色んな職業、性格の人たちの坩堝と化している団体ですが、みな志が高く、一つの目標に向かって
邁進する素敵なメンバーです。一緒に活動できて本当に楽しいです。

このぐらい書かないと後で怒られそうなので、もう一度繰り返しますが、土曜日曜は本当に楽しいです(笑)

さて、これだけ文化が異なると両プロジェクト間で衝突することもあるのですが、それはまた次回にでも。

それではまた。

2013年3月25日月曜日


先日、LIPメンバー全員を対象に、「フィードバックセッション」を実施しました。
その概要は、既に上堀の投稿でご紹介の通りです。

「欠点」だと言われなきゃ直せないなんて!

以前から、年に一度、フィードバックを伝える場を合宿などでもっていましたが、
準備不足と時間不足で消化不良の感があった(と私は思う)ため、
初めて組織的にやってみたという経緯でした。

上堀の投稿は、フィードバックを受けた立場からの感想でしたが、
私は、立場を変えて、フィードバックを伝える側から、所感を書きたいと思います。

☆☆
フィードバックは、概ね、ポジティブなものとネガティブなものに分類できました。
前者は、長所・美点やこのまま伸ばしていってほしい点の指摘。
後者は、短所・欠点や改善していってほしい点の指摘。
今回は、全体的に、ポジティブなフィードバックがより多く集まる傾向がありました。

また、このようなフィードバックを受けた人の反応も、大きく2つのパターンに分かれました。
褒められたことを素直に喜んでモチベーションを高める人と、
改善すべきポイントの指摘が少ないことに対して不満を隠さない人。
先の投稿をみるかぎり、上堀は典型的な後者のタイプのようです。
私の観察する範囲でも、後者が多かったのがとても印象的でした。

私がフィードバックの結果を伝えたある若手メンバーの場合、
積極的なリーダーシップの発揮ぶりを高く評価する意見が多く集まりました。
私は、このフィードバックを伝える前には彼の喜ぶ顔を思い浮かべていましたが…。

彼の感想は、「反省が促される評価をもっと聞きたかった」でした。
「プラスの評価に対してはどう思うの?」と聞いてみたところ、
「褒め言葉は私の行動には影響を与えない」と喝破されました。

な、なるほど…。

厳しい評価を自分の成長の糧にしたいという姿勢は、素晴らしいことです。
でも、ポジティブな評価をもっと吸収すればいいのに、と思ってしまいました。

☆☆☆
褒め言葉をそのまま受け取るのが苦手な人が、日本人にはわりと多いのかもしれません。
良くいえば、謙虚さという美徳の持ち主と言えるのかもしれません。

でも、もったいない。
たとえていうなら、焼サンマの白いお肉だけを食べて、ワタを捨てるようなものです
(=食べれるし、美味しいのに、食べないのは、もったいない)。

これはライフネット生命の社長の出口さんの著書で読んだことの受け売りですが、
人の個性はある面から見れば長所でも、別の面から見れば短所になるようなものなので、
短所を減らして同時に長所を伸ばすことは、難しい。
短所を減らそうとすると、その人の個性が削れて長所もなくなってしまうからです。
ならばいっそ、短所を減らそうとは考えず、長所を伸ばす努力をした方がよい。

更に言えば、チームで仕事をする場合には、個人の短所は必ずしも欠点になりません。
お互いの個性が分かっていれば、足りないところを補完しあえばよいので。
これぞ、人材のポートフォリオ理論。

例えば、LIPの代表の慎泰俊は、時間管理などの細かいタスクが大の苦手で、
たまに彼が何かを仕切るときには私たちをカオスの渦に放り込みます。
彼は、自分のそういった欠点を克服したいと思っているようですが、
私は、このまま「ヌケサク」であり続けてほしいと願っています。
なぜなら、その欠点も、彼の強烈な個性の分かちがたい一部だからです。
彼とは違った強みをもつメンバーが周囲でサポートすれば、それでも問題はないのです。

☆☆☆☆
以上の理由から、長所を伸ばす努力が、短所を減らす努力よりも本質的だと思います。
自己の成長のためには、自分の短所に目をつぶるいい加減さが必要ともいえます。

自分の長所を伸ばすためには、まずベースになる自分の個性を知る必要があります。
でも、自分で自分を知るのは、本当に難しい。
そのために、他者の目を借りる必要があるのだと思います。

厳しい言葉には耳を傾けても、褒め言葉はお世辞として聞き流すような態度だと、
褒め言葉にこそ隠れているはずの自分の強みのヒントを見逃すことになりかねません。
それは、もったいない、ですよね。

【まとめ】
短所を削るな、長所を伸ばせ。
褒め言葉を全身で受け止めて、自分のイケてる所を発見すべし。

2013年3月23日土曜日


☆☆☆Amazonレビューなんか見るな
さて、書評なんだか御自説の展開なんだか良く分からなくなってきた。
まだ本筋を一行も書いてないことには戦慄するが、それは2行だから大丈夫。
安心して蛇足に付き合ってほしい。

僕はAmazonのレビューを見ない。点数なんかなおさら見ない。本から受け取る直感を、
標準化なんてできるか、と本気で思っている。

最近、有名人(というか内田樹)が実名でレビューを書いていたりするのを見るにつけ、
これって反則では? なんて思うこともある。だって、こういうレビューってそもそも、
業界に影響力のない”素人による実感”を反映するための仕組みじゃなかったのか?
これじゃあ有名人の独壇場じゃん。
しかも、その影響力ってマスな媒体で有名になったからこそ出現したわけで。
マスVSアンチみたいに考えすぎるのかもしれないが、なにかつまらない。

半日沈思黙考した挙句、「参考にならなかった」ボタンを僕はこっそりと押したのだった・・・

仮にも本を薦めるならば「こんなことが書いてあります」だけではもったいないと思う。
もちろんそれでもいい書評はたくさんある。でも、自分の立ち位置を明確に打ち出すことで
賛同も批判もVividなものになる。そして、書評にとって大切なのは、薦める本を読む人の
読書体験がVividになることではないだろうか?

というわけで、異常に長かった前置きは終わり、僕はポジションを取ることにする。

子どもの不平等とは、やれば報われると信じられるマインドの有無

今日の1冊をようやく紹介できる。


この本には、次のようなことが書いてある。

『努力したら報われる』と感じられること自体が、社会の上層にいる者の特権だ。
子どもを取り巻く不平等とは、『努力したら報われる』と信じて生きていける子と、
そんなことを信じられない子との差。だから、子どもを取り巻く不平等を無くすには、
『努力したら報われる』(少なくとも可能性はある)と誰もが信じられるようにすることだ。

簡単にまとめるなら、子どもの不平等とは、やれば報われると信じられるマインドの
有無である、ということ。

「努力したら報われる」という自己肯定感を信じられるために必要な要素


これを踏まえた僕のポジションを、約束どおり2行で書こう。

「努力したら報われると信じられるために必要なのは3つ。
使い道を決められる金・相談できる大人・数回の失敗が不利にならない制度だ。」

僕のポジションは、まごうことなく上の本の受け売りだ。
臆面もなくこう言うのは、僕がこの本に書いてあることを(とても珍しく)信用しているからだ。
その理由は、この本が上に書いた「問題の立て方」を忠実に実行しているからであり、明確に
ポジションを取っているからであり、可能な限り統計的な正当化を試みようとしていることによる。
統計学が「最強の学問」かどうかは知らないが、少なくとも統計的な裏づけが、仮説の強力な
正当化方法であることは確かだ。

残念なことだが、こういう本は、非常に少ない。そして売れない。
店頭に並んでいるものや人気のあるものは、極端で印象的な表現で埋め尽くされている。
「日本沈没」とか「無縁社会」とか「前田敦子はキリストを超えた」とか。

一分の真実も含んでいない本というのはたぶんないと思うが、ただ楽しんで読めればいい、
という態度は時にアブナイと個人的には思う。人は、割と簡単にダマされる。
だから、苅谷氏のこの本は良心的で、貴重だと感じる。僕は大いに感心したのだった。

ここまで読んでくださった皆さんには、是非試みに読んでみてほしい。

2013年3月22日金曜日


いきなりだが、うちの母ちゃんは体重80キロオーバーのOh-De-BOOである。
昔はときどきダンベル体操したりしていたが、最近は地道に食べる量を減らそうと試みているらしい。
そんな母ちゃんは私が生まれてかれこれ30年来、テレビを見ながら「人間は不平等だ!」と憤っている。
この前、De-BOOは直らないんだから年金をたくさんもらうべきだ! と滅茶苦茶なことを言ってみたら、
大いなる賛同をいただいた。(ちなみに、母ちゃんはこのブログは絶対に見ない。私はとても安心である。)


私たちの世界は差でできている。確か、ソシュールだったか誰かがそんなことを言っていた。
言語とは、差によって世界を切り出すシステムなのだ、という意見だ。
差が意味を作り出す。だから、差がなければ意味も存在しない。

2013年3月19日火曜日


書評ブログという趣旨からは若干それますが、今回は映画の紹介をさせてください。

児童養護施設の日常を綴ったドキュメンタリー映画『隣る人』


紹介したいのは、『隣る人』という作品です。これは、光の子どもの家という児童養護施設の日常を綴ったドキュメンタリー映画です。ナレーション等は全くなく、淡々と施設内の子どもと児童指導員たちの生活風景が流れる。編集が一切ないからこそ、その映像は心にしみます。


監督 : 刀川和也
企画 : 稲塚由美子
撮影 : 刀川和也、小野さやか、大澤一生
編集 : 辻井潔
構成 : 大澤一生
プロデューサー : 野中章弘、大澤一生
製作・配給 : アジアプレス・インターナショナル
配給協力 : ノンデライコ
宣伝協力 : contrail
宣伝 : プレイタイム

第9回文化庁映画賞・文化記録映画部門大賞
第37回日本カトリック映画賞受賞


この映画は、本当に貴重な作品といえます。それには三つの理由があります。

第一に、そもそも児童養護施設の様子が映画化されたことです。映画のような媒体を通じて、不特定多数に子どもの顔が出ることを施設側から許容されることは、非常に稀なことなのです。多くの児童養護施設では、子どものプライバシー保護のために、子どもの映像はもちろんのこと、子どもの写真を撮ることも禁じられていることがほとんどです。監督の刀川さんは、何度もこの児童養護施設に足を運び、非常に強い信頼関係を施設とつくりあげました。 

なお、この「光の子どもの家」が、映画になるに堪えるほどにとても良い施設であることも、映画化される一因となったのかもしれません。小規模のグループで、児童指導員・保育士と一緒に寝泊まりしながら子どもが育つことができる「恵まれた」施設(とはいえこういった形態の施設では職員への負担が大きいのですが)は、全国で10%にもなりません。(「恵まれた」としたのは、どんなに良い社会的養護環境が提供されていたとしても、親とともに育つことが出来ない子どもが恵まれた環境にあると言うのは憚られるからです。)


本映画が貴重な第二の理由は、子どもや児童指導員・保育士たちのリアルな表情にあります。映像の中の子どもたちの表情や言葉遣いからは、カメラを向けられている人から出てくる「撮られている」という自意識がほとんど感じられません。徹底したリアリティを子どもたちや児童指導員・保育士たちの姿に見いだせるからこそ、私たちはこの映画の世界に入り、そこにいる子どもと大人に心を重ね合わせることができます。このような絵が撮れるようになるまで、監督は児童養護施設に8年間通い続けたそうです。8年間カメラを回し続け、施設にいる人々にとって空気のような存在となれたからこそ、このような作品になれたのでしょう。

そして最後に、本映画が貴重といえるのは、施設の子どもの親との統合という、非常に難しいテーマにも正面から取り組んでいるからです。「虐待する親と虐待される子ども」と聞くと、私たちは親を完全な悪者とし子どもは親を憎んでいると思ってしまいがちです。ですがそれはすごく皮相的な理解で、親は本物の(という言葉の定義も難しいですが)悪人だから子どもを虐待するわけではなく、子どもは虐待を受けても親を慕うのです。親が虐待に至るまでには、様々な複雑に絡み合った要因があります。本映画は、親へのインタビューを通じて、親の複雑な心理状態を描き出しています。

子どもたちが親と再び一緒に暮らせるようになるために


子どもにとってベストなのは、(叶うのであれば)親と再び一緒に暮らせるようになること、すなわち家族の再統合ですが、その実現には幾多の困難が待ち構えています。一緒に暮らしてみようとしても、子どもが問題行動を起こすと、またカーっとなって親が暴力をふるってしまうこともあり、忍耐強く再統合への取組を続けていく必要があります。この映画では、家庭の再統合に向けての取組みをサポートし続ける施設職員の姿が映し出されています。

施設についての本をたくさん読むよりも貴重なことを教えてくれる映画です。ぜひご覧になってみてください。

(本作の鑑賞は、現在のところ、劇場あるいは自主上演というかたちに限られていますが、まさにちょうど今、3/16(土)から3/29(金)までポレポレ東中野でご覧いただけます。ぜひ、ご家族やご友人といっしょに、足を運ばれてください。http://www.mmjp.or.jp/pole2/


こんなところで個人的な悩みを吐露するのもどうかと思うのですが、
困っているので書かせていただきます。

フィードバックセッションのお話


年末年始にかけて、
LIP内で「フィードバックセッション」というものをやりました。
これは、今年から初めて導入した制度なのですが、
一般の企業的にいうと、人事評価、という感じでしょうか。

具体的には、
まず全員が2012年の振り返りと2013年の目標を自己分析し
(その自己分析は全員に公開されます)、その自己分析を読んだ上で、
各々がそのメンバーに対するフィードバックをしていきます。

フィードバックは、良いところ、改善点、今後の期待がメインで、
全員からではなく、自分が希望する人から受けることができます。
私は、主に一緒にタスクをやっているチームメンバーと、理事数名から
コメントしてもらいました。

そして、最後に、それらの評価を取りまとめたものを、
1人の理事から面談で聞かせてもらうという流れです。

ボランティアで日々頑張っているのに、
その上さらに自ら進んでネガティブな評価をもらいにいくなんて、
どんだけマゾですか、と思う方もいるかもしれません。
報酬もなく、1人1人の想いの強さやモチベーションが大事なのに、
そのモチベーションを下げるようなことをわざわざやるのか、と。

初めてのことだったのでそのような懸念も多少あったと思いますが、
1人1人が成長するためには有益な機会であるということで、実行に移されました。

ネガティブな評価がモチベーションを下げないよう、
運用の細かい点で工夫もしていたと思います。

そして、先週の日曜日、私へのフィードバックが行われました。
担当理事のTさん(男性)が自宅近くまでやってきてくれました。

余談ですが、
私は湘南エリアに住んでいて都心から少し離れているので、
Tさんに「近くまで行くよ」と言われて驚きました。

で、よく聞くと、Tさんは
湘南デートの真っ最中に彼女を置いて、私の面談に来たというではないですか!
私はそんなTさんの責任感の強さに驚愕し、
彼女さんの懐の広さに拍手喝采を送ったのでした。
さて、ここからが本題です。
私へのフィードバック、個人的には少しがっかりしたものでした。

というのも、改善点で手厳しいコメントがなかったからです。
私は厳しいコメントを期待していました。
たぶん私は器用で、なんとなくうまくまとめてしまうことができるから、
会社でも厳しいフィードバックを受けにくい傾向にありました。

NPOで自分を律するスキル


しかし、詰めが甘かったり、やりたくないことを後回しにしたり、
こっそり手を抜いたり、という自分の中にある弱さ、ズルさに、
本当は自分が一番気付いているんです。

私はそれを指摘してくれる人を待っていたんだと思います。
人から指摘されると対策するモチベーションが高まりますよね。
でも指摘してくれる人がいなくて、がっかりしたんです。

そんな話をTさんとして、その後チャリを走らせながら自宅に帰るときも
ずっとこのことを考えていました。そこで、ハっとしたんです。

人に指摘されたら直そう、と思っているそのこと自体が私の一番の欠点だと。

意志の弱さやちょっとしたズルさを、
人に気付かれない程度なら「まいっか」と思ってしまう自分への甘さ、
それが私の一番の欠点じゃないかと。

仕事でも成長が鈍化している危機感を感じていたのはなぜか。
いつまでも「ダイエットは明日から」なのはなぜか。
家をキレイに保つと決めてもすぐに汚れるのはなぜか。
すべて、自分への甘さと、
それを「まいっか」と思ってしまっていることが根底にあるなぁ、
と気づき、目からウロコがボロボロでした。

メンバーから厳しく改善点を指摘されなかったフィードバックセッションで、
自分の最大の改善点に気付かされた、そんなお話しです。

「自分への甘さ」少なくない人が抱えていることだと思うのですが、
皆さん、これとどのように向き合っているのでしょう。
意志が弱い人に「意志を強く持て」と、
自分に甘い人に「自分に厳しくしなさい」と、
言うだけでは効力はないですから。

自分へ厳しくなりきれないこの性格とどのように向き合うか、
それが今の私の一番の悩みです。

2013年3月9日土曜日


僕は新聞・テレビ・週刊誌が大っ嫌いなので、大学生の頃からほとんど目にしないように努めている。
それでも、最近のニュースといえば、
車で人を轢いてしまった女性アナウンサーが袋叩きにされ
九州の高校の野球監督が体罰で袋叩きにされ
柔道ナショナルチームの監督が選手に暴力を振るった角で袋叩きにされたのは知っている。

まったくもって、えんがちょ社会だ。ああ怖い。

時に、最近売り出し中の社会学者(評論家・編集者?)萩上チキさんがこんな本を書いた。


「朝まで生テレビ」で有名になったと聞き、しかもこのペンネームなので、ああ、また宮台真司的な何かかぁ、
と思ってスルーしていたのだが、見てみると意外と、というか至極全うな本を書いている。
言葉の軽いインチキ社会学者はわんさといるが、この人は、まともな印象だ。

きっと、社会学はウソをつき易い分野なのだと思う。なぜかと言うと、極端なこといったもん勝ちで、
仮説の検証・正当化という最も重要なフェーズに全く意識を払わない奴がごまんといるからなのだが、
その話は気が向いたら書こうと思う。

2013年3月8日金曜日


みなさんの周りには、「一体なんでこの人はこんな態度を取るんだろう?」と思うような人はいませんか。
人に嫌われるような行為をわざと繰り返すように見えたり、自分の感情を制御しきれず他の人に怒りをぶつけてしまったり。


育児で大切な「身近な大人の愛情」


この本では、赤ちゃんが身近な大人から受ける愛情が、感情をコントロールしたり、他者の気持ちを理解したりする能力を発達させるために、いかに重要な役割を占めているかについて語られています。

子どもが暴力に晒されることによる影響は、体や心の傷を作ることに留まらず、人間関係の構築能力に大きなダメージを与える可能性があります。例えば、常に親からの暴力に苛まれていた子どもは、自らの身を守るために常に周囲の人から距離を置くようになったり自分の感情があたかも存在しないかのように振る舞ったりすることがあります。

2013年3月3日日曜日


皆さま、初めまして。私は「Living in Peace 教育プロジェクト」で子どもたちとの交流会を運営するチームに参加している小野と申します。今回は、私達が支援している児童養護施設、筑波愛児園で行われたイベントについてレポートいた
します。


さる2月9日(土)に、筑波愛児園では「歩け歩けクリーンアップ大会」という毎年恒例のイベントが行われました。このイベントは、筑波愛児園をスタート地点として、筑波山の麓までゴミを拾いながら皆で歩き、そのまま筑波山に登頂するというものです。

当日は8時30分から、年齢の小さい子から順々にスタートしました。私は中学生に混じりながら、列の後方で歩き始めます。2月のこの時期はかなり寒いうえに、この日は風も強く、それを遮るものが何もないなか、冷たい強風が顔を直撃します。最初は楽しく話をしながら歩いて
私は、早くも無口に・・。しかし、子どもたちは走ったり、ふざけあったりしながら元気に歩いています。

2013年3月2日土曜日


皆様はじめまして。Living in Peace(以下、LIPと表記)で副理事長を務めております木下と申します。

はじめに簡単な自己紹介をしますと、年齢は代表慎の1つ下の30歳で、本業はデータマイニングを軸とした金融コンサルタントをしております。生まれ大阪、育ち奈良の生粋の関西人ですが、社会人になってからは東京に染まっています。

端から話が脱線して恐縮ですが、代表の慎がじつは囲碁が非常に強い一方、私は将棋が趣味で大会にもよく出場しています(アマ四段)。未来永劫行われないと思いますが、NPO対抗囲碁将棋大会を行ったら優勝すると思っています(笑)。



教育プロジェクトとマイクロファイナンスプロジェクトの雰囲気


LIPには初期の頃から参加しており、早5年を超します。LIPの最初2年程は教育プロジェクトが存在しておらず、マイクロファイナンス(以下、MFと表記)プロジェクト(=国外のマイクロファイナンス機関支援)だけでした。そしてその後、国外だけでなく国内の貧困問題に取り組もうということで、教育プロジェクトが始まりました。


開始から今にいたるまでは、様々な苦難があったのですが、(今回は)その辺りのことを省略して現状からご説明しますと、LIPというNPOの下には、2つのMF-PJと教育PJがぶら下がっているという格好です。

同じLIPというNPO団体なので、外から見れば同じように見えるかもしれませんが、実際は2つのプロジェクトで雰囲気・文化・メンバーの性格はすべて全く異なります。

たとえば、毎週2時間程度行なっているミーティング風景の違いをざっくり書くなら、

 MF:ピリピリした雰囲気。理詰めな発言が求められる。自分の意見を持っているメンバーが多い。
 教育:まったりした雰囲気。お互い討議に気を回しながらの発言。協調性重視のメンバーが多い。

という印象です。ビジネススキルに特化したものでは、LIPメンバー全員非常に優れたものがあると感じるのですが、プロジェクト別に見ると全く違う傾向が見えてきます。

より具体的な内容については、次回からお伝えしていきましょう。それではまた。


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