先日公開した飯田の書評につづき今回も、Living in Peaceの代表・慎の同著作を取り上げる。
『正しい判断は、最初の3秒で決まる 投資プロフェッショナルが実践する直感力を磨く習慣』(朝日新聞出版、2013)

- 類書がない中での挑戦的な試みなのかどうか
- その本を読んだことが、自分の具体的な行動の変化に繋がったのかどうか
に懸かっていると思う。
今回はこの観点を意識して書いてみたいと思う。
ありがちな話?
本書は、直感、信念と論理についての本だ。
のっけからこう言うと、いかにも固そうだが、確かに30分で分かる、みたいな本ではない。全くない。
でも取り合えずどんなこと書いてあるのかは想像しやすいと思う。
というのも、論理/感情、とか、数字を使った分析/直感とかいった二項対立はとても受け取りやすいからだ。
ところで、僕もあなたも、時としてこの二項対立をあまりに安易に受け取ってしまうことがあるはずだ。
世の中には、こういう二元的な議論を目にする機会は有り余るほどある。
理由は、それがとても理解しやすいからだと僕は思う。
善と悪、男と女、大人と子ども、金持ちのぶさいくか貧乏なイケメンか・・・

「私は勉強が苦手だったが、たくさんの経験を積んだ。
途中、こんなことがあった。こんな風に何も考えずやったらこんなに成功した。
ほら、俺すげえ! 理論? そんなものムダムダ。」
これは、書物による知と経験による知を対立させて、一方をdisるという構造だ。
もしこういう風に読むなら、この本を読んで導く結論は、きっとこういうものになる。
- 世の中は、理屈だけでは割り切れない。
- 科学では解明できないことが世界にはある。
- 直感や信念が大事だから、(記憶力や論理的な推論展開能力を重視する)学校的な勉強は意味が無い。
- だから、長い時間かけて学校の勉強したってムダだ。だって本田宗一郎だって松下幸之助だって・・・
しかし、である。
断じて違うのである。
ニーチェ風に否、否、三度、否!と叫びたくなるくらい違う。
タイトルがちょっと安っぽいので、ぶっちゃけると僕も最初3秒でそう思いかけた。
だが、それでは本書の真の価値は、間違いなく取り逃されることになるだろうと気づいたのである。
越境するということ
てな感じで、いつものようにちょっと煽ってみました。お見苦しかったらごめんなさい。
お前偉そうにそんなこと言うけど、じゃあ、一体この本の価値って何なの?という声に答えたいと思います。
一言で言うと、それは越境である。
(ちなみに、この表現は筆者が日経BPに書いているコラムのタイトルを拝借させていただいた。
ので、断じて僕のオリジナルではないのであるが、あまりにもぴったりなので使わせてもらう。)
越境とは、境界を踏み越えることだが、観念的にはそれだけの意味にとどまらない。
越境とは、これまで対立項だと思われていたモノ同士の関係を一旦解消し、それを新たな関係に転化することだ。
本書での著者の仕事は、まさに上に書いた論理/直感の二項対立を乗り越えようとするものなのである。
ロジック至上主義と直感
少しわき道に逸れよう。
この記事を書いている前日の夜、僕は京都に行き、医療分野のリハビリテーションを専門に研究している大学院生の友人とふたり5時間コースでくっちゃべっていた。
僕は医療分野の制度論をかじったつもりでいたので、意気洋々たるものである。
「最近の医療って、Evidence Based だよねー、おいらちょっと統計に興味あってさー」
「・・・いたつさん、統計勉強したんだー、じゃあEvidence Basedってなんだと思う?」
「ええと、、ランダム化比較試験みたいに、統計的に効果が立証された薬とか処置とかを、正統な医療行為として認めるってこと!」
「わっほーい >< まさにそれが良くある間違いなのよー」
がーーーーん
超知ったつもりでいたのだが、ここには根本的な誤解があったのだ。
彼女のレクチャーに基づいてきちんと説明すると、Evidence Basedとは、「証拠に基づいた」という意味の英語だ。しかし、ある行為や意思決定を正当化するための証拠は、複数ある。
これを、「一般性が高い順に並べると」
- RCT(ランダム化比較試験)
- 複数論文のクロスレビューで統計的有意が確認されたもの
- 複数論文で独立に、統計的有意が確認されたもの
- 症例の報告が複数あるもの
- 職場の先輩がそうだと言っているもの
となる。

この点が非常に誤解されやすい。
実際に「他ならぬあなたに」この薬が効くか、という観点から見ると、一般性が高いからといって一般性が低い根拠に優れるわけでも劣るわけでもない。「一般的にはそう言える」というだけなのだ。
ひとつ例をあげよう。
皆さんは丸山ワクチンをご存知だろうか?
これは60年ほど前に開発された、癌の特効薬として話題をさらったワクチンだ。
延べ40万人近くの投与者を数えるが、現在も厚労省の認可は下りておらず、発表当初から主に研究者からの集中攻撃にあった。
その主な理由は、臨床研究で、統計的に有意な効果が実証されなかったからだ。
しかし、最近次のようなことが分かってきた。
人間には免疫システムが備わっているが、癌を攻撃する免疫細胞は実は10種類あり、丸山ワクチンはそのうちの一つに効果を与えるものである可能性がある。
しかし、10種類のうちの1つにだけ効くものなので、被験者全体でみると当然統計的には有意な結果がでない。
だが、免疫細胞の構成比率には個人差があるため、「このワクチンで癌を倒すことができる人が存在する」ことは確かなのだ。
統計的有意が実証されないにもかかわらず、実際にこのワクチンを投与して状況を好転させた例があとを絶たなかったのはそのためだ。
それは、統計的正当化とは、あくまでも確率論的な正当化でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない、ということだ。
だから、場合によってはRCTで正当化された理論より、職場の先輩に倣って行った意思決定のほうがよりよい効果をもたらすことが、実際に起こりうるのだ。
丸山ワクチンは数値的な根拠無しに「効いた!」という感覚を支持する声がたくさんあったというだけで当初特効薬の触れ込みを得た。論理(だと思っているもの)だけが議論を正当化すると考えていると、丸山ワクチンは否定されるのみの運命だった。
しかし、直感を支持する声があったがゆえに、その後のより正確な議論が発展する道が拓かれたのだ。つまり、論理至上主義は、道を最初から断じる可能性があったということだ。
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