2013年6月22日土曜日

2000年、夏。
心までとろける様な熱い日のことでした。
僕は京都大学の生協ショップ”ルネ”でいつものように哲学本を漁っていました。
既に店に来てから3時間が経っていました。
太陽は傾き始めて、夜の黒色があたりを染め始めたころ、
少し飽きた僕はおもむろにCDコーナーを覗き、
以来芸術的な愛情の全てを傾けることになる一人の音楽家と出会いました。

グレン・グールドは1950年代~70年代に活躍したカナダ生まれの天才ピアニストです。
彼の名を世に知らしめたのは、J.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』。
グールド以前、この曲はハープシコードを使った重厚な演奏がスタンダードだと
みなされていました。
それは”偉大だが、古くて重々しくて退屈”なバッハのイメージを
そのまま体現しているかのような演奏でした。

グールドのバッハが初めて世に登場したとき、人々はその歌うような
ロマン溢れる旋律、風のような軽さ、現代的なリズム感に
驚きを隠せませんでした。

「これが本当にあのバッハなのか ?」

それは、バッハという偉大な音楽家が現代に受肉しよみがえった瞬間だったのです。

グールドは、特にその演奏スタイルや一風変わった振る舞いから、
ある種の奇矯なピアニストだと一般的には思われています。
夏場にコートと手袋を決して脱がず、誰とも絶対に握手をせず、
スタジオでは裸足で歩き回りました。
父親の手作りで30cm程の高さしかない椅子に座り、時には歌いながら、
時には空いた手で指揮しながら演奏するそのスタイルは、
エクスタシーを全身から放射しながら、絡み合ういくつもの旋律を
完璧に弾き分ける天才の必然でした。

グールドはデビューした当初からコンサート嫌いを公言していた珍しいピアニストでした。
30歳を過ぎると、彼は突然コンサートから完全に身を引き、人々の前から姿を消しました。
そして、別荘のあるシムコーの湖畔に閉じこもって、録音に没入し始めたのです。

録音室はまさにグールドの芸術の実験場であり、
モーツァルトやベートーベンのソナタ、ウィーン派12音技法の曲たちなど、
時には極端なほどに特徴的な解釈を施した音楽を次々と世に送り出しました。

それらのいくつかは否定的な評価を数多く受けましたが、
同時に音楽の自由を、想像力の飛翔を積極的に肯定するものでもありました。
事実、グールド以降、特にバッハについてはそれぞれ独特な、
新しい解釈と呼べる演奏が多く生まれています。

「マイクロフォンと恋に堕ちた」グールドは、50歳で世を去るまで、
ただひたすらに自分の音楽と向き合い続けました。
1981年録音のゴルトベルク変奏曲”アリア”は、死の1年前に録音したものであり、
その祈るような旋律は、まるで永遠の昔から鳴り続けてきたかのような、
そして無限の未来へ鳴り続けていくかのような宇宙的普遍性を覚えさせます。
それは、地上に舞い降りた忘我の天使の別れの歌であるかのようです。

    



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