今回の投稿は、新たに入会したメンバーの投稿になります。様々な人間が寄り集まって、働きながら社会を変えるために何を抱いて活動しているのか、その現場感が伝われば、と思っております。
Living in Peace教育プロジェクトの活動に参加して仮入会から数えると9ヶ月経ちました。最近、プロジェクトメンバーとして活動する自分と、Chance Makerの皆様や、この問題に興味を持ってHPやブログを見てくれたりイベントに参加して下さる方と自分を繋ぐものってなんだろうと考えます。
それは、独りだったら目を背けてしまうかも知れない不正義に抗うために連帯を求める姿勢なのかなと思います。自分の弱さを認めることができるから現実を直視し、人と繋がろうと思えるのだと…
自分の弱さについて書いて見たいと思います。
私はごく普通の家庭で育ったと思っていましたが、母は感情的に不安定な人で、他人と親密な関係を築くことができない父との仲は良くなく、いつも家庭の中には緊張と不安がありました。母が突然怒り出すこととか、いつも寂しそうなのを見て、自分のせいなのだと思っていました。
10代中ごろから極端に無気力になって、苦しくて仕方なく隠れてお酒を飲むようになり、24歳のとき、気づいたら止められなくなって鍵のかかるアルコール専門病棟の中にいました。28歳のときにリハビリ施設への入所を経てお酒が止まりました。
お酒が止まって回復の為に通った自助グループのミーティングで自分にとって大きな出会いがありました。十数年前に飲酒が止まったメンバーに相談を持ちかけ、こんな会話をしました。
「お前はなんでここに来ているんだ。」
「生き方がわかりません。」(私)
「お前が苦しいのは全てお前が不正直なせいだ。飲酒が酷かったときの自分の姿を痛みを伴うように話す努力をしろ。」
当時、北海道の過疎の町にいて、冬は凍てついてドアが開かなくなる古い教会の礼拝堂で、白い息を吐き、寒さと不安に震えながら数人でミーティングを繰り返しました。その人は言葉通りのことを絶えず実践し続けていて、その言葉は私にとって、手にとって眺められる位のリアリティがありました。自分の現実を捉える言葉に飢えていたことに気がつき、正直に自分を語る作業に必死で取り組みました。徐々に現実的な行動がとれるようになり社会復帰もできました。
隣町のミーティング会場に行く車の中でこう言われたときのことが脳裏に焼きついています。
「弱点や欠点っていうのは、自分が本当にそれを受け入れたときには弱点や欠点であることを止めるんだ。」
身内が亡くなったり、不況で失業したり、自分の手に負えそうもないことは四六時中起こりましたが、困り果て、精根尽き果てたときに必ず心に浮かぶのは、不安に震えながら自分の弱さを言葉にして絞り出した経験でした。自分が身に着けた問題解決方法が、自分に起こり得る全ての問題に対して有効だという確信があったと思います。
お酒を飲まない時間が10年以上経ち、様々な人が犠牲を払って積み上げた制度や仕組みの上で自分が回復に取り組めてきたことが理解できるようになり、経験を手渡す立場になった頃、社会構造の変化によって新たに繋がるようになった大勢の若年層メンバーが、就労の機会を得ることができない現実に突き当たりました。
「どんなに小さなことでもいい。絶望した人がそのままの状態で手を出し、経験を増やせる仕組みを作ることに参加したい。」と思うようになりました。
派遣で働いているので状況が安定せず数年迷った後、Living in Peaceに参加し自分の経験の少なさにうろたえながら活動しています。
メンバーも、Chance Makerの方も、イベントに来て下さる方も、それぞれの現実を背負って同じ活動の中で連帯しているのだと感じます。一人でも多くの方と一つでも多くのことを分かち合えるようプライドを持って活動していきたいと思っています。
自分の弱さについて
それは、独りだったら目を背けてしまうかも知れない不正義に抗うために連帯を求める姿勢なのかなと思います。自分の弱さを認めることができるから現実を直視し、人と繋がろうと思えるのだと…
自分の弱さについて書いて見たいと思います。
私はごく普通の家庭で育ったと思っていましたが、母は感情的に不安定な人で、他人と親密な関係を築くことができない父との仲は良くなく、いつも家庭の中には緊張と不安がありました。母が突然怒り出すこととか、いつも寂しそうなのを見て、自分のせいなのだと思っていました。
10代中ごろから極端に無気力になって、苦しくて仕方なく隠れてお酒を飲むようになり、24歳のとき、気づいたら止められなくなって鍵のかかるアルコール専門病棟の中にいました。28歳のときにリハビリ施設への入所を経てお酒が止まりました。
お酒が止まって回復の為に通った自助グループのミーティングで自分にとって大きな出会いがありました。十数年前に飲酒が止まったメンバーに相談を持ちかけ、こんな会話をしました。
「お前はなんでここに来ているんだ。」
「生き方がわかりません。」(私)
「お前が苦しいのは全てお前が不正直なせいだ。飲酒が酷かったときの自分の姿を痛みを伴うように話す努力をしろ。」
当時、北海道の過疎の町にいて、冬は凍てついてドアが開かなくなる古い教会の礼拝堂で、白い息を吐き、寒さと不安に震えながら数人でミーティングを繰り返しました。その人は言葉通りのことを絶えず実践し続けていて、その言葉は私にとって、手にとって眺められる位のリアリティがありました。自分の現実を捉える言葉に飢えていたことに気がつき、正直に自分を語る作業に必死で取り組みました。徐々に現実的な行動がとれるようになり社会復帰もできました。
人が自分の弱点・欠点を克服するために
隣町のミーティング会場に行く車の中でこう言われたときのことが脳裏に焼きついています。
「弱点や欠点っていうのは、自分が本当にそれを受け入れたときには弱点や欠点であることを止めるんだ。」
身内が亡くなったり、不況で失業したり、自分の手に負えそうもないことは四六時中起こりましたが、困り果て、精根尽き果てたときに必ず心に浮かぶのは、不安に震えながら自分の弱さを言葉にして絞り出した経験でした。自分が身に着けた問題解決方法が、自分に起こり得る全ての問題に対して有効だという確信があったと思います。
参加するということ
お酒を飲まない時間が10年以上経ち、様々な人が犠牲を払って積み上げた制度や仕組みの上で自分が回復に取り組めてきたことが理解できるようになり、経験を手渡す立場になった頃、社会構造の変化によって新たに繋がるようになった大勢の若年層メンバーが、就労の機会を得ることができない現実に突き当たりました。
「どんなに小さなことでもいい。絶望した人がそのままの状態で手を出し、経験を増やせる仕組みを作ることに参加したい。」と思うようになりました。
派遣で働いているので状況が安定せず数年迷った後、Living in Peaceに参加し自分の経験の少なさにうろたえながら活動しています。
メンバーも、Chance Makerの方も、イベントに来て下さる方も、それぞれの現実を背負って同じ活動の中で連帯しているのだと感じます。一人でも多くの方と一つでも多くのことを分かち合えるようプライドを持って活動していきたいと思っています。
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