2015年4月24日金曜日



中東のテレビ局アルジャジーラが制作した「日本の見捨てられた子どもたち(原題:Japan’s Throwaway Children)」という25分番組を見て揺さぶられるのは、知識ではなく感情だ。いや、知識以上に感情だ、というべきか―



番組は、虐待件数が日本で最も多いという大阪の地にカメラを据え、まずは現在、政府が社会的養護の主軸にしようとしている小規模ユニットの児童擁護施設、次に施設出身者が暮らすホームレスシェルター、里親となった夫妻の家、そして、里親の元でさえ暮らせなかった子どもたちが最後に戻るのだという、老朽化著しい大規模ユニット施設と巡り、問題の根深さ、複雑さへと迫っていく。

アルジャジーラが捉えた、日本の児童養護施設のリアル


画面は、これまでほとんど伝えられることがなかった施設の内部とそこに暮らす子どもたちの姿を時に率直に映し出す。
子どもたちはどんな服を着ているのか、どんな箸でご飯を食べ、ベッドはどんなふうに並べられているのか。どんなふうに笑い、時にどんなふうに職員に甘えるのか。彼らがいま送っている時間とは一体なんなのか。

子どもたちの肉声も聞こえてくる。

母親に虐待されて施設に来た14歳の少年は、それでも母と一緒に暮らしたい、「だってそれが家族だから」と語る。
中東から来たテレビレポーターを囲んだ子どもたちは、彼の関心を買うべく我先にと必死な歓声をあげる。乳児園の赤ん坊たちはただ泣き声を上げる。

どれも、子どもたちの姿のほんの一部なのだろう。それでもそれは初めて目にする本当の姿だ。

タブーを裂き、生身の子どもたちに触れる


最近、日本では「子どもの貧困」という言葉に集約されるような、困難を抱えた子どもたちの情報が、例えばほんの1年前に比べても飛躍的に増えたように思う。少し熱心に学べば、状況の深刻さはすぐにわかる。

6人に1人の子どもが貧困状態にある、3万人の子どもが児童養護施設で暮らしている、そのうちネグレクトを含む虐待を受けていた子どもは約6割、そして……。でも、多くの知識を得てなお、一人ひとりの子どもの姿は濃いもやの向こうにある。

子どもたちのプライバシーや気持ちへの配慮などデリケートな問題は確かにあるだろう。中東のテレビ局だからこそ踏み込めた領域なのかもしれない。

「見てもらいたいというのはありますね」と、施設出身で現在はホームレスシェルターで暮らす27歳のケンジは言う。自身の施設での生活を振り返ってつぶやいた言葉だ。

ケンジの言葉を繋いで言う。ぜひ、ぜひ見てもらいたいと思う。
タブー視していたもやの向こうにあったのは、彼、彼女たちの、まだあどけなくも丸みを帯びたその頬のシルエット。そのやわらかな曲線に、きっと、あなたも言葉以上のなにかを感じると思うのだ。
それはあなたの心の奥底に深い楔(くさび)を打つだろう。

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