先日、LIPマイクロファイナンスプロジェクト主催のフォーラムで登壇の機会をいただきました。
フォーラムのテーマはクラウドファンディングでした。
LIP教育プロジェクトの寄付プログラムChance Makerもクラウドファンディングを活用した仕組みということで、僭越ながら「寄付」の立場を代表して発言をしてきました。
寄付と投資の相違について考えるとても良いきっかけになりましたので、ちょっと間があきましたが、備忘を兼ねて自分の考えをここに纏めておきたいと思います。
投資は全然違うものだと思われる方も多いと思います。
でも、投資も寄付も、お金が余っている人からお金が足りない人への資金の移動という意味では同じです。
たとえば、フォーラムにも登壇したミュージックセキュリティーズは、セキュリテ被災地応援ファンドという投資と寄付のハイブリッド商品を世に送り出しています。本質的な類似点がなければハイブリッドは作れません。
もっとも、投資の場合、将来に逆方向の資金の還流が予定されています。
貸付であれば元本と利子、株式投資であれば利益又は残余財産の分配です。
投資家は、このリターンを期待して投資の意思決定を行うわけです。
他方、寄付ではそのような資金の還流は存在しません。
そのため、投資は双方にとって利益がある取引行為、寄付は一方から他方へ提供される利他行為という捉え方が一般的です。
LIPがChance Makerという寄付プログラムを始めたときに、マイクロファイナンスプロジェクトでは投資商品を企画しているのに、なぜ児童養護施設向けの支援は投資として設計しないのか、という質問を受けることがありました。
こういった質問が出てくる背景には、対等な関係の取引行為である投資の方が、施し行為である寄付よりも、支援を受ける人の自立と尊厳の観点から望ましいという観念があると思います。それには一理あるかもしれません。
投資の場合、将来のリターンはあくまで予定に過ぎず、そこにはいつも不確実性が伴います。
MFフォーラムでは、資本コストの構成要素は、待つことのコスト、リスクの対価、情報取得コストの
三つに分解できると説明されていました。
これらのコストを低く抑えて予定どおりのリターンを確保するために、以下のような施策がとられるのが一般的です。
ここで話を寄付に戻します。
寄付はリターンがゼロなので、上に述べたような将来の不確実性はありません。であるならば、未来の不確実性に伴う資本コストも存在せず、これらの施策も不要となるはずです。
しかし、本当にそうでしょうか。寄付者の立場でも、
LIPがChance Makerで果たしている役割も、寄付者と支援対象の児童養護施設の仲介者として、
この3つの機能を提供することにあります。
リターンがゼロなのに投資と同じく審査やモニタリングや情報公開が求められるのは、一見すると論理的な矛盾があるようですが、リターンという概念をお金ではなく効用として捉え直せばその矛盾は一発で解消します。
寄付の場合、リターンは金銭的な儲けではなく、支援が役に立ったことによる満足感という心理的な効用です(これを、ソーシャルリターンと呼ぶそうです)。リターンを獲得するために必要な打ち手は、投資でも寄付でも本質的な違いはないということなのだと思います。両当事者に価値の無い取引が自発的に行われるはずはないので、当たり前といえば当たり前のことです。
このように考えると、冒頭に述べたお金の出し手と受け手の関係性に関する理解(投資は対等な関係を結ぶ取引、寄付は非対等な関係を結ぶ施しという見方)も修正が必要になります。
どちらも、お金と責任のやりとりが均衡する対等な取引行為なのです。寄付を受けた人は寄付者に対してリターンを返す責任を負っていて、それは上場会社が株主に対して負っている責任と本質的に変わりません。Chance Makerの支援先である筑波愛児園は、寄付者の皆様に対して、頂いたお金を子どもたちに充実した養育を提供するためにしっかり使う責任と、そうして使った結果を正確に伝える責任を負っています。
ただし、クラウドファンディングが普及する以前の寄付には、こういった本来のあり方から外れたものも少なくなかったと思います。
駅前の街頭募金では、資金の出し手への説明責任は遂行しようがありません。また、著名な非営利団体への寄付でも、その使途が寄付者にとって必ずしもはっきりしていないという不満があったと思います。LIPのChance Makerは、クラウドファンディングの仕組みで資金調達のコストが劇的に下がったことにより可能になりました。インターネットを通じて多くの方に効率的にアプローチでき、かつウェブサイトなどを通じた情報開示で従来よりずっと低いコストで説明責任を果たせるのは現在の非常に充実したIT環境があってこそで、本質的な意味で寄付と投資の違いがないと言えるようになったのはつい最近のことなのかもしれません。
投資との類似性は、寄付市場の更なる発展のためにどんな制度的なインフラが必要かを考える足がかりにもなりそうです。寄付が金融商品取引法の規制対象になったり、証券取引所に上場して取引されたりといった未来はやや荒唐無稽な気もしますが、情報開示や仲介者を規律するルールの整備は必要でしょうし、所定の基準を満たした高品質な非営利団体を認証・登録する仕組みはあってもよいかもしれません。
フォーラムのテーマはクラウドファンディングでした。
LIP教育プロジェクトの寄付プログラムChance Makerもクラウドファンディングを活用した仕組みということで、僭越ながら「寄付」の立場を代表して発言をしてきました。
寄付と投資の相違について考えるとても良いきっかけになりましたので、ちょっと間があきましたが、備忘を兼ねて自分の考えをここに纏めておきたいと思います。
投資と寄付とファンド
投資は全然違うものだと思われる方も多いと思います。
でも、投資も寄付も、お金が余っている人からお金が足りない人への資金の移動という意味では同じです。
たとえば、フォーラムにも登壇したミュージックセキュリティーズは、セキュリテ被災地応援ファンドという投資と寄付のハイブリッド商品を世に送り出しています。本質的な類似点がなければハイブリッドは作れません。
もっとも、投資の場合、将来に逆方向の資金の還流が予定されています。
貸付であれば元本と利子、株式投資であれば利益又は残余財産の分配です。
投資家は、このリターンを期待して投資の意思決定を行うわけです。
他方、寄付ではそのような資金の還流は存在しません。
そのため、投資は双方にとって利益がある取引行為、寄付は一方から他方へ提供される利他行為という捉え方が一般的です。
LIPがChance Makerという寄付プログラムを始めたときに、マイクロファイナンスプロジェクトでは投資商品を企画しているのに、なぜ児童養護施設向けの支援は投資として設計しないのか、という質問を受けることがありました。
こういった質問が出てくる背景には、対等な関係の取引行為である投資の方が、施し行為である寄付よりも、支援を受ける人の自立と尊厳の観点から望ましいという観念があると思います。それには一理あるかもしれません。
投資における資本コストの構成要素
投資の場合、将来のリターンはあくまで予定に過ぎず、そこにはいつも不確実性が伴います。
MFフォーラムでは、資本コストの構成要素は、待つことのコスト、リスクの対価、情報取得コストの
三つに分解できると説明されていました。
これらのコストを低く抑えて予定どおりのリターンを確保するために、以下のような施策がとられるのが一般的です。
- 投資前の審査
- 投資後のモニタリング
- 不特定多数の投資家に向けた事前・事後の情報公開
“リターンゼロ”の寄付における資本コストとクラウドファンディングの今後
ここで話を寄付に戻します。
寄付はリターンがゼロなので、上に述べたような将来の不確実性はありません。であるならば、未来の不確実性に伴う資本コストも存在せず、これらの施策も不要となるはずです。
しかし、本当にそうでしょうか。寄付者の立場でも、
- 寄付を受ける人の信頼性、活動内容、受け取ったお金の使い道などについて事前に審査を行うべきだし、
- 受け取ったお金が有効に使われていることを事後確認すべきだし、
- 不特定多数の寄付者を抱えている団体には透明性の高い情報開示が期待されるでしょう。
LIPがChance Makerで果たしている役割も、寄付者と支援対象の児童養護施設の仲介者として、
この3つの機能を提供することにあります。
リターンがゼロなのに投資と同じく審査やモニタリングや情報公開が求められるのは、一見すると論理的な矛盾があるようですが、リターンという概念をお金ではなく効用として捉え直せばその矛盾は一発で解消します。
寄付の場合、リターンは金銭的な儲けではなく、支援が役に立ったことによる満足感という心理的な効用です(これを、ソーシャルリターンと呼ぶそうです)。リターンを獲得するために必要な打ち手は、投資でも寄付でも本質的な違いはないということなのだと思います。両当事者に価値の無い取引が自発的に行われるはずはないので、当たり前といえば当たり前のことです。
このように考えると、冒頭に述べたお金の出し手と受け手の関係性に関する理解(投資は対等な関係を結ぶ取引、寄付は非対等な関係を結ぶ施しという見方)も修正が必要になります。
どちらも、お金と責任のやりとりが均衡する対等な取引行為なのです。寄付を受けた人は寄付者に対してリターンを返す責任を負っていて、それは上場会社が株主に対して負っている責任と本質的に変わりません。Chance Makerの支援先である筑波愛児園は、寄付者の皆様に対して、頂いたお金を子どもたちに充実した養育を提供するためにしっかり使う責任と、そうして使った結果を正確に伝える責任を負っています。
ただし、クラウドファンディングが普及する以前の寄付には、こういった本来のあり方から外れたものも少なくなかったと思います。
駅前の街頭募金では、資金の出し手への説明責任は遂行しようがありません。また、著名な非営利団体への寄付でも、その使途が寄付者にとって必ずしもはっきりしていないという不満があったと思います。LIPのChance Makerは、クラウドファンディングの仕組みで資金調達のコストが劇的に下がったことにより可能になりました。インターネットを通じて多くの方に効率的にアプローチでき、かつウェブサイトなどを通じた情報開示で従来よりずっと低いコストで説明責任を果たせるのは現在の非常に充実したIT環境があってこそで、本質的な意味で寄付と投資の違いがないと言えるようになったのはつい最近のことなのかもしれません。
投資との類似性は、寄付市場の更なる発展のためにどんな制度的なインフラが必要かを考える足がかりにもなりそうです。寄付が金融商品取引法の規制対象になったり、証券取引所に上場して取引されたりといった未来はやや荒唐無稽な気もしますが、情報開示や仲介者を規律するルールの整備は必要でしょうし、所定の基準を満たした高品質な非営利団体を認証・登録する仕組みはあってもよいかもしれません。
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